本橋松二写真展 「光芒・素へのアプローチ 」
2014年8月1日(金)〜8月10日(日)※月・火休
12:00〜19:00 金 〜20:00 最終日 〜17:00
August 1 Fri.-August 10 Sun., 2014
12:00-19:00 Fri. -20:00 The last day -17:00
*Closed on Mon., Tue.


〈 光芒 〉 友人やその家族にお願いしてレンズを使わずに光りの束に入って頂きました、8枚のピンフォール・カラープリントです、写真や絵画とは違う何かのコトが見えて来ました。

〈 素へのアプローチ 〉 被写界からの情報をぎりぎりまで減らして、そのコトの素顔を見たくて人や物や風景いろいろ撮って来ました。「素」は意外にも笑ったり悦びだったりするようです、40点ほどのモノクロームが壁に並びます。会場の壁に向い合う「素」のモノクロームと「光りの束」の中の友人達がどんな会話をするんでしょうか、そのときそのときでその会話は変るのかもしれません。とかのワガママな実験会場です。

〈状況1〉 広告写真という職業を長くやっておりました、プランナーやコピーライターが企業から消費者に感じて貰いたいイメージを文章(言葉)にします、それを翻訳あるいは通訳して写真に置き換えますそんな職業です、映画映像よりもよりシンプルに1枚のポスターや雑誌広告等へ処理します、映像言語です。今回「光芒」では映像言語を使わずに出来るだけ画像からの情報を押さえて「あ」や「ん」を感じる写真8枚にしました、その写真の人と自分との距離もばらばらにしました、それぞれが映像言語を持たない写真8枚が白いシンプルな壁に並んだ時その空間に会話が始まるかもという実験です、ギャラリーが無人の時の会話は聞けません、でも1人あるいは4人5人でその会話は変るかも知れないのです。向かいの壁には数十枚のフレームに入った楽しいモノクローム写真が並んでいます、その1枚づつの写真のお話をしているのかも知れません。

本橋 松二

本橋 松二 MatsujiMOTOHASHI

EVENT 〜イベント
8月9日(土) ※入場無料

14:00-17:00
スペシャルトーク「俺が写真だ!―本橋松二の芸術を探る―」
本橋松二(写真)、宮田徹也(批評)、沼田皓二(デザイン)、越後谷文博(ディレクター)


17:30-18:00
地獄への招待舞踏「光芒・素へのアプローチ」
細田麻央&ゴチ


本橋松二は無自覚で生きてきた。そして写真を撮り、それは現代美術だった。
人間が人間の尊重を剥奪し人間を大量殺戮した第一次世界大戦時に、現代美術は欧羅巴で発見された。現代美術は自らに固着するあらゆる権威を拭い去り、既存の概念を総て破壊し、材質すらも灰燼に帰した。ダダ、構成主義、バウハウスがこれに当て嵌まる。現代美術の目的はあらゆる束縛からの解放と、人間の尊厳の回復にある。そのため作者は作品から遠く離れ、作者を含めた他者が作品を言及することによって作品は鼓動を始め、答えを必要としない問いを発し続けることによって作品は永続する。つまり現代美術に重要なのは制作ではなく、展示され、他者の眼に触れた時に命が降りてくることにある。作品の背後に神、王、君主は存在せず、作者、若しくは問いを発し続ける他者の自画像がまるで宇宙の中にぽつんと、孤独に漂うのみである。これこそ現代に生きる人類の姿なのだ。

このフライヤに記されている本橋のステートメントは理解できない。更に次の言葉が読む者を混乱させる。「素はエンタメの側にいる」。本橋によると、座禅や武道のような精神的な方法論によって無駄なモノを剥ぎ取り写真の「芯」に向かっていくと娯楽や無駄がない世界ではなく、晴れやかで自由で美しいところに到達できるのではないかと希望的観測がある。アプローチに意味があり、到達を目指さない。旅の途中こそが旅である。写真の「芯」とは無とか死といった悲しく激しいものではないと言う。現代美術の発想に対して極めて遠くに位置しながらも、非常に近い場所にいる。本橋がデザインの領域で活動してきたためか、現代美術が1929年の世界恐慌によって破綻し、再構築する際に細分化されてしまったためか、極めて異なりながらも同根であることが今回の展示で明らかになるであろう。

現代美術が発見された時期、伝統的な絵画と先端的な写真が混在し等価となった。日本の「今日の美術」の動向に眼を向けると、抽象表現主義、コンセプチュアル・アート、インスタレーションといったものは潰え、映像、写真、音楽が主流となっている感がある。これは「先進国」と自負する国々を往来する際に実物では輸送費がかかり過ぎるので、データで運べるという利便が重視されていると思われているが、実は「今日の美術」は金に塗れ過ぎた商品に堕落している結果であり、最新の技術を誇示する映像、写真、音楽というコンテンツは総て資本主義に支えられている結果であると再考察することができるのだ。このような観点でいま、ここの本橋の作品を「今日の美術」と定義せず、敢えて原初的な「写真」であると定義しよう。なぜか。本橋は写真しかできないからである。

商業的なコンテンツとしての写真と、美術という権威的な「今日の美術」という枠を乗り越え、現代美術が持つあらゆる権威の破棄に立ち返るのが、本橋の作品群なのだ。本橋松二による「最後の写真」、それこそが「最初の写真」である筈だ。

(宮田徹也/日本近代美術思想史研究)



本橋 松二 Matsuji MOTOHASHI

東京都生まれ

個展
1989 <BOXXING>
1991 <ベトナム>
1993 <神の国>
1994 <R.Sコンテスト>
1995 <カシュガル>
1996 <肖像画>
2000 <ピンウーリン>
2001 <オアシスロード>
2002 <spoon>
2005 <桑の木>
2007 <川崎トタン>
2007 <美しい>
2009 <five elements>
2011 <Ups and downs 死ぬ男>
2012 <馬の名前>

WEB:http://www.tokyo100.com/motohashi/


本橋 松二 MatsujiMOTOHASHI
CLOSE
>>BACK TO INDEX
Copyright © MAKII MASARU FINE ARTS All Rights Reserved.